今日は今年の150日目です・・・そして、今月もラス前です笑
今週の中頃から天気が怪しいです!
気温も下がるので体調管理に気を付けないと・・・ですね!!
1980年代半ば~1990年代前半、紫の球児たちは高校野球ファンを魅了した!
東京六大学の明治大学硬式野球部で四番を打っていた本間先生が初任で本別高校に赴任し、
野球部を率いて三年目だった・・・【全員野球】【全力疾走】【大声野球】を掲げ、
1985年の夏、当時の全道大会常連の南商を準決で下し、代決では帯農を下し、初の十勝代表として快進撃を続けていた。
当時31歳の本間監督は求心力があり、帯広や札内、芽室などからも先生の指導を受けたい!と
越境する生徒も少なくなかった・・・・・。
当時、十勝支部は1981年帯工・82年帯農・84年広尾・86年三条・87年帯北・89年帯北・・・。
毎年の様に甲子園に駒を進めていた十勝勢でした。
僕は当時デパートマンで、この試合は社員食堂の休憩室で見ていた!
「準決勝の湖陵に勝てば甲子園が見えてくるぞ!」なんて、同僚達に話をしながら応援していた!
9回裏の二死満塁、スコアは2‐1だ・・・ショートゴロだ「これで決まった!!」席を立った、
その時だ・・・「ワーーーー!!!」という歓声の中からテレビ画面に写ったのは3‐2で釧路湖陵の逆転勝利だった!
しかし、決勝戦では北の王者と言われた旭川龍谷が甲子園を決めた!
湖陵のエースは鳴り物入りの好投手で、後に札大→NTT北海道で活躍しました。
実は、その時の湖陵の一年生・佐藤静一投手はベンチに入りマウンドに立つこともありました。
その後、二年生エースとして北大会の一回戦で旭川龍谷に勝ちリベンジ!
しかし、準決勝で二年生がレギュラー8名の帯北に惜敗します。
決勝は十勝対決となり、帯広三条高校が二年生エース山本浩介さんを率いて甲子園を決めました!
しかし、しかし、ドラマは続きます・・・・・。
1987年、湖陵は絶対的エース佐藤静一投手が釧路支部で自責点0の無失点で北大会に出場します。
その豪腕は北大会でも失点0で、約60イニングくらいの無失点記録で決勝戦へ勝ち上がりました。
相手は帯北です・・・エースの高木投手は高校卒業後にプロ野球からの誘いを断りノンプロのたくぎんに進みました!
北海道を代表する両エースの投げあいで延長13回まで0-0の緊迫した試合でした。
試合が動いたのが14回表でした・・・。
先攻の帯北が塁上にランナーがいるときに、ボークの申告がありランナーがそれぞれ進塁し、
緊張の糸が切れてしまったんだと思います。
その回に一挙6点を入れた帯北が初の甲子園を決めました!
釧路湖陵は三年連続ベスト4以内に進出し、あと一歩ではありましたが、本当に素晴らしいチームで
球児達のプレイスタイルやマナーも良く、観客からの拍手喝采が物凄かったです!!
本当に高校野球の魅力や筋書きのないドラマ、そして、後輩達が先輩達の背中を見て
繋がっていく、繋げていくんだな!と感じます!
去年、本別高校に赴任した田村先生の計らいで、当時のユニフォームの復刻版を
HS‐WORLDとレワードのコラボにて作成させていただきました!
30年以上前のユニフォーム・・・帽子もアンダーシャツもサポストも全て紫です!
現在は三年生が一人、一年生が二人の計三名での活動ではありますが、
なんとか廃部にしないで、繋いでいる・・・これも現代の高校野球なんだな!と思います。
年中野球としても出来る限りサポートする事を【大声野球】します笑
そして、四本目のタイヤとして【全員野球】します笑